「男が女を守るってのは間違いなく正義だ」
「お前が居てくれるから、俺達は普段の何倍も力が出せるんだ」


貴方はそう言ってあたしを抱いた。
言葉だけじゃ伝わらない何かが其処には確かにあって、体温では伝わらない何かがあって。それでも貴方の行く末を見届けたいと思った。それが叶わない願いであっても構わなかった。



ねぇ、貴方は幸せでしたか。
貴方は今、其処で何を想って何を見ていますか。










「左之さん、京を離れたいんでしょう?」


ひたひたと小雨が降る夜に、灯りが力なく小さな部屋を照らしていた。季節は冬から春へと移り変わろうとしている。首筋にじんわりと汗ばみを感じる。つい半刻程前の情事の余韻に浸りながら、は乱れた髪を櫛でゆっくりと梳く。どんな言葉を紡ぐかは迷っていた。其れ故出てしまった言葉は余りにも完結的で。


時代は今、この季節の様に移り変わろうとしている。
幕府が大政奉還を行い、修羅の幕開けを予感させる。幕府とも、藩とも、新選組とも何の関係もない只の町娘であるにですら、この異様な時代の流れを肌で感じる程に。


まだ新選組が、壬生狼と言われて京の住人に忌み嫌われている時に二人は出逢った。
恋に落ちて、身体を重ねた。

原田が、幕府の人間だろうが、どこぞの藩に所属していようが、にとっては大した問題ではなかっただろう。
彼の人柄に惚れ込んだ。
仲間を想い、忠義を尽くす、そんな原田の人柄を愛した。それだけだった。
また原田もそんなを愛していた。



しかし遂に歴史は動き始める。


後に鳥羽・伏見の戦いと呼ばれる戦が起きた。

そこで、薩摩藩本営の東寺に朝廷の軍である事を示す錦の御旗が翻った。
新選組を含む旧幕府軍と薩摩藩の私戦であった筈のこの戦いで、朝廷に刃向かう旧幕府軍の図式が出来上がってしまっていた。
新選組が朝廷に刃向かう逆賊になったのだ。
其の為、寝返ったかのような各藩からの様々な裏切りと呼ぶに等しい対応を受け、この戦に旧幕府軍は敗れた。そして新選組は名を甲州鎮撫隊へと変える。



その中で、原田の親友である永倉が局長である近藤と袂を分ける事になる。
隊に対しての認識の違いの結果だそうだ。
そこでの意見の違いに隊が割れた。


「新選組は序列はあるが、主従関係のない組織だった筈なんだよ」

以前、を胸に抱きながら原田は独り言を呟くように零したのを覚えている。
彼の意見も想いも恐らく永倉と同じであろう。それが痛いほど分かってしまう。
原田を愛しているから。
なのに何故、原田が新選組に残ろうとするかという事も。その理由が自分だなんて耐えられない。



「.....何、言ってんだ。お前を残して離れる訳ねぇだろうが」

瞠目したまま答えるその言葉は、悲しいくらいに乾いたこの部屋にぽつりと響く。


「左之さんは、永倉さんに付いて行きたいんでしょう?」

確かめるように二度同じ事を繰り返した。原田の言葉が震えているように感じたのは気のせいではないだろう。そう確信すると、梳いた櫛を鏡台に静かに置いた。その手が微かに震えているのはどうか気の所為でありますように。


「馬鹿いってんじゃねぇよ」
「永倉さんが、新選組を抜けるんでしょう?左之さんも永倉さんに付いて行きたいんでしょう?」
「......なんで、新八が隊を抜ける事を.........なんでそんな事お前が知ってる?」

訝しそうに眉を潜める原田の表情とは意を反する様な、震える様な声だった。
ああ、それは確信に変わってしまった。


「平助に聞いた」
「.......」
「ねぇ」
「......お前を残して、京を離れるなんて事する訳ねぇだろうが」
「やっぱり」
「.....?」
「.........平助は、生きているんだね」

ぴくりと動いたその肩越しに、ち、と舌打ちをする音が聞こえた。こんな時上手に嘘で取り繕う事が出来ない原田のその真っ直ぐな人柄に苦笑しつつも、ああやっぱり愛しいな、とその手を離す事が怖くなる。
でももう後戻りはしたくない。


静かに立ちあがって障子戸を開けると、ひやりと冷たい外気が汗を凍らせる。
暗闇に沈みつつ、の場所からは部屋の灯りが一つだけぼんやりと照らす原田の表情までは伺えない。もう冬が終わる。


「ねぇ、左之さん。あたしは今、新選組で何が起きているかなんて分からない。平助に聞いたなんて嘘だよ。でも平助が生きている、そんな気はしてた。あの日、油小路で死んだと聞かされていた平助が生きていると気付いたのは只の感なんだ」
「お前は........」
「でも確信した。左之さんがあたしにそれを伝えないのも、何も言えないのも、あたしなりに理解している、つもりだよ」


自分と添い遂げたい、と望んでくれた。
初めて彼に抱かれた夜の事を一生忘れない。
血に染まっている筈の彼の掌は、時には自分の涙を拭ってくれた。
人を愛する、という事をに教えてくれたのは、今、目の前でまるで母親に叱られた子供の様な瞳で自分を見据える原田以外の誰でもない。


「左之さん、京を離れなさい」
、お前.....」

胡坐をかいていた膝を崩して、の腕を原田は自分の元へ引き寄せる。は掴まれた腕に体勢を崩すと倒れこむ様な形で原田の胸に収まった。
心臓の音が聞こえる。力を入れる原田の腕が微かに震えている。
強引に顎を掴まれて、口づけをされた。溢れる吐息と絡められる舌は熱くて、の唇の合間に差し入れられる舌はもっと熱くて、切なかった。
痺れるような、甘い疼きが、先程情交を終えたばかりの其処に、伸びた足の指先に駆け巡る。


「男は女を守るもんだ。これから、時代は移り変わる。そんな時、傍にいなきゃお前を守れねぇだろうが。.....俺は、お前を危険な目には合わせたくねぇし、合わせねぇよ。絶対に」
「女は黙って男の背中を見送るもんだよ」

弾かれた様にゆっくりと目を見開くこの男をは愛している。
だからどうか。

「左之さんの弱さも、迷いも。そんなとこ絶対にあたしには見せない貴方の強さも、仲間を想う強い信念も。あたしはまだまだ未熟だからこうやって言葉に出してしまったけど」

自分の本当に望む生き方を。

着直したばかりの襦袢を左右に開かれて、露になったの胸に原田は顔を埋めた。
その髪に顔を埋めて子供をあやす様に、は原田を抱きしめる。目の前にいる、この男が愛しくて仕方ない。

ねぇ、激しく抱いて。
乱暴に、その指痕を、爪痕を身体中に残して。
もう二度と消えくらいの傷痕で、あたしに左之さんを沢山刻んで。

快楽も激しさも、夢中でお互いを求め合ったこの夜を一生忘れられない様に。
息も出来なくなるくらい、強く深く熱く抱いて。


「あたしは、そんな左之さんのすべて包み込む、そんな女で在りたいんだ」

その言葉は唇によって塞がれた。押し倒される様な形で覆い被さった原田に首筋に舌を這わせられて、思わず顔を逸らす。その頬を逃げられない様に片手で押えられた。甘い疼きが吐息に変わる。露になった胸の膨らみに指を這わせれば、溶ける様な喘声が零れ堕ちる。

のその表情を見下ろす形で、眉を潜める原田の表情にもう迷いはなかった。
髪を掻きあげられて露になった耳朶を噛まれ、熱いその吐息に身体中が疼く。強く瞑った瞳に涙が浮かぶ。

、夫婦になろう」

原田が耳元で囁いた言葉にの目からは涙が溢れ出した。










あの日、新選組を去った原田と永倉は靖兵隊という部隊を結成して江戸へ発っていった。
それからの事はわからない。新選組の局長であった近藤が処刑されたのは聞いていた。だが、宇都宮、会津、戦場が何処なのか、原田が今何処にいるのか、にはわからなかったし、それで良いと思っていた。



あれからどれ位の月日が流れただろうか。

大切な人はいつも傍にいてくれて、支えてくれる、守ってくれるから大切なんじゃなくて、一緒にいない時でもそう想い合えるから大切なのだ。
いつも気にしてくれていると感じると安心する、遠くにいても近くにいて欲しい。遠くにいても近くに感じていたい。

「おっ母さん」

庭の縁側で座っていると、その声の小さな主は赤髪を揺らしながら嬉しそうに自分を覗き込む。
まるでびいどろの珠のようなその赤茶色の瞳は、いつかの彼に面影が似てきたと、想う。


空の蒼に木々の緑が溶けるこの季節の事をいつかまた逢えたなら。
混ざり合う事を望み、軽やかに調和していく色たちのことを。
(いつか、また)


そんな他愛のない話をしよう。
(左之さん―――――)


名前を呼んでも応えなどある筈もなく、あの時自分を抱いた温かい腕はもういない。
吹き込んできた風がの頬を撫でるように、通り過ぎてゆく。
また、季節が変わりゆく。時代と共に。
はその小さな少年の髪を優しく撫でながらゆっくりと目を閉じた。





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